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jueves, 4 de febrero de 2016

仏教用語によるキリスト教布教





仏教用語によるキリスト教布教

―イエズス会の翻訳作業における葛藤、『ひですの経』第29章の例から―

山口県立大学大学院・国際文化学研究科
ビジャモール・エレロ・エフライン

 宣教師は日本における布教当初では、多くの仏教用語が誤解を招きかねないと判断し、それらを否定した。ところが、1611年に成立したとされる『ひですの経』の原典にない第29章の内容の分析を通して、宣教師が既に「仏法語」・「異教徒」に分類した言葉や文章の内容自体が仏典から引用されたと思われる記述も確認できた。この分析にあたり、宣教師の日本語学習の基盤となった『日葡辞書』(1603年)との対比やスペイン語原典との比較を実施した。

 本稿は、禁教が緊迫化する状況下で、出版物の完成度より、多くの日本人への布教が優先される中で、日本人翻訳者が仏教用語を積極的に援用したことを主張する。


LA TERMINOLOGÍA BUDISTA Y LA EVANGELIZACIÓN EN JAPÓN 

EL DILEMA DE LA COMPAÑÍA DE JESÚS REFLEJADO EN EL CAPÍTULO VIGÉSIMO NOVENO DEL LIBRO “FIDESU NO QVIO”


Universidad Prefectural de Yamaguchi
Facultad de Estudios Interculturales
Departamento de Enseñanza de Japonés
Efraín Villamor Herrero

Compendio

En el capítulo vigésimonovenodel texto clásico “Introducción del Símbolo de la Fe” de Luis de Granada, se perfilan los pormenores de la “Anima Intelectiva”. Se estima que la versión japonesa“Fidesu no Qvio”fue impresa en el año anterior a la prohibición total de la religión cristiana en 1612 por el gobierno feudal. En esta traducción se puede observar cómo apartados de dicho capítulo están añadidos y otros descartados. Este texto destaca por su irregularidad respecto a otros de su género, contando con una gran cantidad de términos budistas, utilizados en los primeros días de evangelización y abolidos a posteriori por su posible malinterpretación del credo en las obras cristianas traducidas al japonés. De esta manera, esta pieza de la literatura cristiana japonesa nos aporta una nueva perspectiva respecto a la ardua tarea de la interpretación y traducción llevada por la Compañía de Jesús durante el siglo XVI en Japón.



Esta tesis trata de dar lucidez a los diversos dilemas que afrontaron los misioneros al interpretar su dogma al japonés, así como analizar el intercambio cultural de las corrientes cristiana y budista, centrándose en el significado y propósito de la utilización de los términos budistas del capítulo vigésimo noveno de “Fidesu no Qvio”en la evangelización del pueblo japonés de la época.   



CHRISTIAN EVANGELIZATION IN BUDDHIST TERMINOLOGY

―An examination of the dilemmas of Jesuit missionaries using Japanese terminology as seen in “Fidesu no Qvio” chapter twenty-nine—


Yamaguchi Prefectural University - Efraín Villamor Herrero


Abstract

During Xavier’s early days in Japan, the Jesuits missioners decided to refrain from extracting Buddhist nomenclatures for fear of misunderstanding in their Christian texts. This paper focuses on chapter twenty-nine of the book “Fidesu no Qvio”, introduced in the sixteenth century following the decision of set pragmatic adjustments to Buddhist terms. However, the chapter also contains numerous expressions classified as “heathen terms“or “Buddhist context”. Moreover, it uses many expressions that are reminiscent of Buddhist sutra citations.  The goal of this project is to show the implication and the dilemma of the Japanese missioners along the interpretation of the Christian beliefs using Japanese and Buddhist concepts.
This has been done by examining the original text of the book in Spanish and the Japanese-Portuguese dictionary “Nippojisho“, which was used as Japanese study material by the Jesuits.

Upon examination of those facts, this research highlights one part of the Japanese believers’ or new Jesuits’ attempt to use Buddhist expressions in Christian texts in order to evangelize other Japanese people due to their natural affinity with Japanese culture.



The text will be available in my ビジャモール・エレロ・エフライン(2017)「仏教用語によるキリスト教布教―イエズス会の翻訳作業における葛藤、『ひですの経』第29章の例から―」、『日本国際文化学会』、15、141-150.

 

jueves, 16 de julio de 2015

"Siendo llamado por la misteriosa cultura de la India"

「摩訶不思議なインドに誘われた」


1.    インダス文明・アーリア人の侵入
子どもの頃から、聖書と付き合わされたのをきっかけに、エジプト文明に大変関心を持った。古代の文明のいずれも、河川流域に集中的に存在していたことが以下の絵で再確認できる。
[i]

講義においては、インダス文明を発見した欧州の人が最も衝撃を受けたのが二つの点に分類される。まず、インドには、アーリア人の侵入前から「有色人種」によってインダス文明が発達していたのが一点目である。さらに、ヨーロッパ系の言語(私自身の出身地であるバスク地方の言葉は、インドヨーロッパ系に分類されておらず、孤島言語と呼ばれる謎の言語を除く)がインドの言葉に由来していることにも大きな驚異を覚えたはずである。欧米出身のインド研究者が主張している内容と、コロンブス(原語・Cristobal Colón)が「アメリカ大陸を新発見した」と教科書に載っている説明と共通している。それは、両方の主張も、現地の先住民などの視点を完全に無視し、あくまで支配者ならではの視点に立っているに過ぎないと非常に似た言及である。
インダス文明においては、煉瓦造りの水路や多くの建造物を建てるにあたり、樹木がやたら伐採された結果、インダス川の近辺が砂漠化している。インダス文明は発達したあまりに自滅したと考えられる。インダス文明の自業自得な滅亡に、現代における世界規模的な問題に直面している現代の私たちも大きな教訓が得られると思う。歴史を学ぶ価値はここにこそあるとを実感させられる一例である。紀元前2000年から、衰退に向かっていたインダス文明のインドには、遊牧民族のアーリア人が紀元前1500年に侵入した。アーリア人(白人)の侵入に伴い、独自の宗教聖典vedaがもたらされ、新たな価値観はインダス文化に直撃したのである。先住民の肌の色と異なる白い肌を持ったアーリア人の侵入により、肌の色に対する意識が高まり、やがてvarNavaNNaという肌の色による階級制度の礎と繋がった。この階級制度は、以下の通りである。
   ブラーフマナ(司祭・ヴェーダ聖典に関する知識を独占)
   クシャトリヤ(武人階級・王・大臣)
   ヴァイシャ(商人)
   シュードラ(肉体労働者)
この肌色による階級制度の権限を担っていたアーリア人は、ヴェーダの言葉(讃歌)を独占し、神様と人間の仲介役割を果たしていた。遊牧族であるアーリア人は、貢ぎ物に牛などを神様に捧げたり、ヴェーダの言葉を唱えたりすることにより、人々の願いを叶えていたようである。この時期は、「ヴェーダ期」と呼ばれる。ヴェーダ聖典は、アーリア人の元来の宗教であり、インドに移り住んでも、土着の民族に教えてはいけない秘密聖典であった。原語のveda,宗教的な知識という意を持つ。最も有力のある聖典を重要順に並べると以下のようにである。
     『リグ・ヴェーダ』最も有名(神々への讃歌という意)
     『サーマ・ヴェーダ』
     『ヤジュル・ヴェーダ』
     『アタルヴァ・ヴェーダ』
社会の担い手であったアーリア人には、一般の人の願いを叶えられる不思議な力があるに違いないという需要が一般のインド人側にあったと考えられる。なぜなら、人々の願いが叶っていなければ、この相互関係が成り立たなくなり、支配者がもはや偽物の宗教家になってしまったはずであるからである。この「言葉の持つ不思議な力」に関して、次章で詳しく述べるため、ここでこれぐらいにしておく。
また、新たな民族のアーリア人が登場したのを契機に、インドの先住民は、自らの肌色に気付かされたと同時に、支配者であるアーリア人の肌色が最も望ましい色とされはじめ、憧れの対象となった。インダス文化とゆかりのない新たな価値観がもたらされた。インド古来のインダス文化とアーリア人の間で育まれた風習に関する差異は前述の例に留まらない。改めてインダス文化とアーリア文化の相違点を対比すべく、以下の表で学んだ要素を挙げることとする。
インダス文化
アーリア文化
農耕・定住
遊牧・移動
母なる大地
家畜を得ることで成り立つ生計
シヴァ神(男女一体化)
主に男神崇拝
動物崇拝
動物は→財産・食料
自然尊重
自然支配
性器崇拝
男性優位
 以上の表に示したように、インダス文明の構成員は、農業に携わっていたため、自然の恵みの有無に命が懸っていたことが想像にかたくない。故に、自然を尊重せざるを得ない状況にいた先住民は、「母なる大地」を重んじ、農業を支援してくれる存在として動物を認識していた。一方、大移動を日常茶飯事とする遊牧族のアーリア人は、各地域に留まらず、より効率よく(軍事力を伴う)方法を用いて、家畜や食料を得ることを目標とする人である。いわゆる戦争集団であった。歴史記録に注目すれば、欧米諸国の支配主義や資本主義、つまり現代の大概の先進国の政策方針の裏に働いている思想のルーツはアーリア人の文化にあることがわかる。母国では、このような悪循環となる支配者側の態度を批判する諺がある。「Pan para hoy, hambre para mañana」、「〈そのやり方で得た〉今日のパンは、明日の飢餓〈の原因〉となろう」。そのような支配的な思想を押さえようとした意識は、欧米にも多少潜在しているとはいえ、現状はこの意識の影響力がいかに乏しいかを語る。
 一方、インダス文明の人々の生活様式は、アーリア文化の特徴と大きく異なったようである。インドには、三ヶ月に亘る大変強烈な雨期(vassa雨期安居)があり、外出を控えざるを得ない時期である。毎年大災害に成りかねないこの時期に遭わせられるインド人には、物事をじっくり考える(瞑想のはじまり)習慣が定着したと思われる。後に発生するupaniSad(等置)哲学も、季節の変化に自由を余儀なくされたインド人の自然と人間の密接な関係から発生した。講義でも紹介された以下の絵には、瞑想中の人が描かれている。ここで、重要な点は、インダス文明の人々の間に、「人間が自然に敵わない」、ないし「内面的な部分と向き合うべきだ」という意識が強かったことが十分留意されるべきである。
[ii]
以上にアジア文化論の講義内容におけるインダス文化とアーリア文化の相違点について述べてきた。両者の特徴は対照的である部分もある。しかし、どちらからも影響を受けているヒンドゥー教などの場合で読み取れるように、必ずしもインダス文化とアーリア文化は相性が合わなかったとは言えないのである。多少両文化が合一したとはいえ、遊牧出身であったアーリア人は遊牧生活を断念し、インドに定住したことや、現在のインド文化に残っている要素の多くがインダス文化に由来していることから考えれば、アーリア人がインドの古来の文化に飲みこまれたと言った方が相応しいと思われる。



2.    実行を伴うsatya思想とインド独立運動の父・ガーンディー
時々テレビ番組に、インド出身の中年男性が出場し、日本ではとうてい考えられない行動を振る舞う風景が取り上げられる。半世紀ぐらい後ろ歩きを続けている男性や爪を一切切らない人すら出場する。アジア文化論の講義を受ける前、単なる「苦行者らしい行為」としか受け止められなかった。しかし、一見無駄な行動と思われがちなこれらの事例は、アジア文化論で学んだsatya(sacca)と明らかに関係しているため、次にこれについて述べることにする。
宗教的な知識を独占していたアーリア人は、『リグ・ヴェーダ』を唱え、神様を喜ばせていた。これにより、人々の願いを叶えていたと前章で述べた通りである。そこで、現実に夢や理想をもたらしてくれるのは、「讃歌の言葉に願いを叶える不思議な力が存在しているに違いない」という発想が生じるように至った。これは、やがて日本にも及んだ「言霊」の元思想である。この神に対して唱えられる言葉に宿る力は、「ブラフマン」である。この言葉を使いこなす人は、ブラーフマナ(brAhmaNa)と呼ばれる。まさに,vaNNa制度の最高位の婆羅門は、この神秘的な力を意する言葉からできた階級名である。しかし、この人間を超えた能力を持った最高位のバラモン階級は、自分たちの立場を守るべく、秘密としてこの知識を閉鎖的に守った。他の人にこの神を喜ばせる力(ブラフマン)の使用は当然許さなかった。
しかし、人々はバラモンたちが神を喜ばせる力(ブラフマン・宇宙の根元と考えられるようになる)を唱えることにより、願いが信実となり、実際に願ったことが叶ったのなら、「唱える内容が真実(satya)になる場合」は、きっと不思議な力、つまり神様を喜ばせる程のパワーが伴われるに違いないと考えられるようになった。そこで、バラフマンの力が使えないとはいえ、実行を伴えば言ったことが真実となる場合、そこに不思議な力が宿るという発想と結びつくようである。これはガーンディーが独立運動の原動力としたsatya思想の由来である。最初に述べた、現代のインド人「爪伸ばし」などは、このsatya思想のさらなる特徴と関連している。それは、satyaには「難易度」によって、得られるパワーが倍増されるという点である。つまり、人は予め宣言したことが、いかにその人に実現が難しいかによって、実現成功となる可能性が決まるため、得られる力が増すというのである。このように、インドの文脈では、実現不可能なことを可能にしていく実行力が問われ、それにsatyaの力を入れる、つまり宣言した内容を守り続ける人は聖者と位置づけられるのである。仏教の開祖も、このsatyaの力を重視した生涯を送り、現地言語での別称は、tathAgataone who has gone to the truth)と言われる例もある。また、現在のインド共和国政府の象徴として本レポートの最初に載せたアショーカ王の象徴であるライオン像には、「सत्यमेव जयते 」(宣言を守って実行し、言った通りになるsatyaは絶対に勝つ)と刻まれる程、satya思想はインド文化と切っても切り離せない程、強く根ざしているのである。これをインド独立運動の根本的な思想に価値づけたのがMohandAs Karamchand GAndhIに他ならない。彼は、satyAgrahasatyaを握って放さない)運動の先駆者・実践者である。勉強不足のため、個人的にガーンディーを単に非戦争主義・平和主義としかと捉えることができていなかったが、講義を通してガーンディーに対する理解が180度変わった。インドのヒンドゥー教徒やムスリムを戦略的に仲悪くさせたイギリスの意図を見抜いたガーンディーは、両者の団結力を取り戻すべく、satya思想の種をあちこちの演説で撒いた。彼が説いた「非暴力・不服従」に基づく独立運動は、最初に支配者にとっては、恐らく笑いの対象であったかもしれない。しかし、satya思想の観点から見れば、実現不可能に匹敵するような運動であるからこそ、実現成功すれば、インドは独立を成し遂げる力を得られるに違いないというsatya思想を基に、紛れもなく理に叶った考え方である。科学の進歩に全てを委ねるような現代人には信じがたいかもしれないが、歴史上で言えば、インドはsatya思想に従い、独立を成功したことはもはや否定のできない事実(言った通りとなった真実)なのである。インド独立運動を経験していない私たちは、映画鑑賞を通して、この運動の命懸けさに気付かされる。いくら殴られても、決して打ち返さないという行為は、いかに覚悟が必要か、いかに勇敢な行動であり、実行が難しいかを理解するのに、現代のニュースを見れば、想像がつくはずである。  
ここで述べたsatya思想は、まるでインドのみ通用する考え方であると捉えられがちであるが、アーリア人由来のヴェーダから発展したsatya思想は、日本にも仏教の戒律を守る僧侶などをはじめに、講義で紹介されたマンガやアニメの世界の物語にも大いに影響を及ぼしている。インド発祥の宗教である仏教は、「瞬間的な輪廻」、成道「つまりこの人生における生まれ変わりは、自らの実践次第で至り得るゴールであるbuddhaの島」を目指す点とsatya思想と大変類似しているように思われる。このsatyaの発想は「決して古い・現代に活かせない思想ではない」と主張しておきたい。何故なら、少なくとも、積極的に努力(satyaの力を得るには、実行・努力が必要である)し続ければ、人は変わり得るという達成可能な自覚に基づき、世界も変われるという希望へと繋がるからである。つまりsatyaの可能性は実行者の努力次第である以上、無限だと言うこともできよう。

3.    ウパニシャッド哲学とインド人のethos
以上に述べたように、インドには途轍もない雨期が訪れる際、人は外出を控える。この雨期中に思索をする習慣ができ、upaniSad(等置)思想は、紀元前56世紀にヴェーダ文献のvedantaに初登場する哲学思想である。この哲学の概要は、「違うものを等しく見なす」という観点に基づく。インド人は、季節の循環的な変化を観察し、人間も、きっと大自然が行う過程と同様に死んで生まれ変わるに違いないと考えた。これは、いわゆる「輪廻転生・saMsAra」という発想である。前章で記述したsatyaの母体発想のブラフマンが宇宙の根源とされ、全宇宙(macrocosmos・梵)と個体なる人間(microcosmos・我)をupaniSadするのがこの哲学の基本的な観念と考えてもよいだろう。玄侑 2013)『日本人の心のかたち』において解説されている日本のethosの「無二思想」は、このインド哲学のupaniSadとの共通性が一目瞭然であると考える。
また、以下の表で示すように、様々な事柄が宇宙と人間を繋ぐ、つまり人間と宇宙の同一性(梵我一如)を説くにあたり、重要な説明となった。
upaniSad哲学
自然界
人間
太陽
精液
このように、全宇宙の根源たるブラフマン(非人格)が自己解体し、物質・物体の中に入り込むことにより、命が宿ると考えられた。インド人は、それぞれの人には、独自のattmanという命の元が存在し、肉体が老化した時、Atman(人格)は体を離れ、ブラフマンに還るという循環型思想を生み出した。しかし、そのAtmanには人生での行いが及ぼす影響力(業・karman)が残る限り、そのAtmanは宇宙に戻れない。つまり、Atmanの汚れが重りとなり、ブラフマンに還ることができないのである。清浄なAtmanのみ、全宇宙の根源に戻るのが許される。それは、mokSa解脱、いわば業を断ち切り、輪廻転生から越脱したAtmanのみに限定的に約束される。このように、インド人の人生の最終目標は、mokSa解脱となったのである。
 講義で何度も繰り返されたように、この三つの「業・輪廻転生・解脱」を基に、インド文化におけるethosが育まれたようである。この発想に伴い、インド人のethosはさらなる展開と結ばれるようになる。カースト制度とも大きく関わっている、肉体にはランクがあるという発想から、輪廻する六つの世界が形成された。ブラフマンに還れない程、悪業は重いとされ、上のランク(道・趣)程、Atmanは清らかな階級と見做された。この六道の最初の三つは望ましい生まれ変わりとされるのに対し、余りの三道は悪い行いを成したAtmanが生まれ変わる世界である。
1.         神(天国・アーリア人の神々)
2.         人間 
3.         阿修羅(土着の神々)
4.         畜生
5.         餓鬼
6.         地獄
以上のような六道世界に命を授けるものは、あくまでも一時的で、仮の姿に過ぎず、永遠に天界に欲を満たした生活が送れるや、地獄に堕ちたからには、立ち直ることが何をしても不可能である元来に該当する「宿命論」ではない。現世のこの人生の行いにより、来世の有様が決まるという希望を与える思想(非宿命論)でもある点が注目すべきである。      
以上に述べたように、インドの人々は「梵我一如」(仏教の華厳思想と大きく関わっている)というupaniSadを基に、mokSaを目指すようになったものの、徐々に解脱の現実性が希薄となった。しかし、この発想が成立に欠かせない階級制度の正当性を証明するために生じたと言われるが、私にはそう思えない。よって次にカーストについて触れることにする。

5.    カースト制度・生まれによる階級制度
第二章にて記述したように、アーリア人の侵入により肌の色(vaNNaによる階級制度が形成された。これに留まらず、インドには、vaNNa制度や輪廻転生の発想に基づき、jAti・生まれによって一生の階級が決まるというカースト制度が加わった。\前章のupaniSad哲学が成立以前から、『リグ・ヴェーダ』のアーリア人が聖典には、人間の間に上下関係や仕事様式が決まっていたという伝説が載っている。プルシャという巨人から4つの家柄が表現される。巨人の口(ブラーフマナ)、腕(クシャトリヤ)、腰(ヴァイシャ)、足(シュードラ)とされる。これらの喩えは、各階級の社会的な機能を比喩的に表しているようである。このvaNNa制度に加わり、jAti制度には20003000種類のカーストがあると言われている。これらは、仕事内容毎に分かれており、そのカーストが社会の中で果たすべき義務としてdharma(儀式)まで定められている。各カーストの定めは『マヌ法典』という書籍において文字化されている。インドが近代化するにつれて、都市部においてjAti制度は緩んだようでるものの、現在にも同一のカーストで集まり、食事を摂るや、同じカーストの人と結婚すべきであるという風潮は過去のものではなく、現在でも残っている。
このように、インド人は人生で実行すべきである三大目標を設けるようになった。
1.         義務 dharma
2.         実利 artha
3.         愛欲 kAma
現実では、ほぼ不可能と位置付けられた大目標の四つ目は、 解脱 mokSaに相当する。
次章のヒンドゥー教を取り上げる時に、どのように日常生活で修行すれば、解脱に達成するかを詳しく述べるため、ここでその説明を省く。『マヌ法典』には、dharmaの定めが決めてある一方で、インド人の理想的な一生を以下の4つの時期に分類されている。
1.         学生期(025歳)
2.         家住期(2650歳)
3.         林褄期(5175歳)
4.         遊行期(76100歳)
 以上の時期には、インド人の理想の生涯像が込められている。社会の中で上手に機能し、立派に自分に与えられた役目を果たすのが最も望ましい生き方とされる。しかし、ここでわかるように、人の寿命は必ずしも全員が遊行期まで生き延びるとは限らないため、四大目標mokSaの現実性は徐々に薄れてきたようである。このように、「解脱は別格の人限定のものである」、または「日常生活で一般の人は、雲を掴むかのように、一向できそうもない目標に過ぎない」という考え方がインド人の中で広まるに至った。つまり、道徳や倫理上、karman「業」を設定し、そこでより善い社会を築こうという動きはあったものの、通常の行いを積んだとしても、解脱に到達するには不十分であると考えられるようになった。そのうえ、「いくら善い行いを心掛け、清らかな心を育んだって、解脱まで至らないのなら、せめて来世、天界に生まれ変わり、欲を存分に満たしてから(解脱への一息)、また解脱に向かって頑張ればいいや」という発想にインド人のethosが一変したと考えられる。ここで、何故「建前上の解脱」をわざわざ残す必要があったのかという疑問が湧いてくる。むしろ、「解脱より天界に生まれ変わることを新たな目標に設定すれば良かったのでは?」とも思えてくる。しかし、これには、解釈の余地があるように思われる。何故ならブラフマン、シヴァ・ヴィシュヌのような神の存在は、六道を超越しているように、六道(輪廻転生)より優れた「理想故郷たるの・解脱」、宇宙の根源に帰還する、または宇宙の最高存在の探求の方が、天界に生まれ変わるという諦め掛けの目標より、遥かに強かったからではないかと考えられる。つまり、現実性ではなく、理想性が何等かの形(現世では不可能の場合でも、いつか必ずという前提に基づく)で優先されたと言ってもいいだろう。
 また、カースト制度は、単なる差別制度と位置付けられることがしばしばある。確かに、講義でも紹介されたように、カースト制度には、生まれにより、浄・不浄や上下の関係が決まるのが、これに留まらず、カースト制度はインド人のethosの礎と言っても過言ではないだろう。それは、jAtiがインド社会全体をバランスよく和平的に保ち続けるわけでもあると思う。jAtiの数は、約20003000種に分類されるようである。単純に考えれば、上下関係を決めるには、とても覚えられないぐらい複雑に絡み合っていると言わざるを得ないのが現状である。最上位のカーストであるブラーフマナや最下位のシュードラは、はっきりしているが、これらに所属しない多くのjAtiの間では、上下の関係性が不明確であるため、jAti内同士の構成員がお互いの対応に戸惑ったり、困惑したりする様子がよく見られるようである。まさに、日本における「どうぞ、どうぞ!」という現象に相当する。この、jAtiの複雑な関係に対しては、二つの理由が挙げられる。まず、インド社会で商売などを営むには、カースト制度に所属していない場合、商売が成り立たないため、どんどん新たなjAtiが生じたのが一つ目である。そのうえ、二つ目は、「向上心」に満ちた思想に基づき、インド人は行動するため、断続的に増えたのだろうと思う。何故なら、輪廻転生思想にしても、業にしても、上のjAtidhammaを真似てjAtiの昇進を目指す行為にしても、jAtiの本来の職業から離れても、jAtiの一員としての自覚を捨てないにしても、一概に言えないかもしれないが、いずれの思想の裏づけには、「インドの人がよりよいコミュニティーを築こうとしている意識」が前提になっている気がしてならないからである。換言すれば、社会的な競争が少ないわりには、著しいインドの経済成長に関しては、それぞれのjAtiの人々は個人で動いているのではなく、まるで団体意識に基づいているかのように、svadharmaを果たすことが個人の利益ばかりか、社会への貢献となっていると言ったほうが適切なのではないだろうか。
 以上に、述べてきたように、カースト制度には、上下関係や浄・不浄の関係も見られるとはいえ、単なる社会的な差別がカースト制度成立の要因には考えにくい。むしろ、カーストを廃止しないことや、解脱を完全に視野から離さないインド人のethosにはさらなる理由があるのではないかと思われる。それは、カースト制度が、宇宙の根源存在の探求はもとより、upaniSadの前章で記したように、「梵我一如」である以上、「本来の自己探求」を達成すべく、内面と向き合う姿勢から成立した社会構造であると考える。従って、社会の中でsvadharmaを果たせば、解脱に至るという当時まで前代未聞だったこの新たな展開がインド文化に生じた。それは、ヒンドゥー教発生後の思想であるため、次にこの宗教について述べることにする。

6.    ヒンドゥー教とは
ヒンドゥー教は、自然発祥の宗教である。この呼称は、インダス河の現地発音のSinduに対して対岸のペルシア人は訛ってヒンドゥーと呼んだのが由来に当たるようである。ヒンドゥー教は、インド教ともいい、インド文化そのものである。つまり、インドに長らく培われてきた「業・輪廻・解脱」のethosをそのまま取り入れた宗教である。このように、生活様式や社会習慣がヒンドゥー教に取り入れられ、upaniSad思想と相俟って、ヒンドゥー教が成立した。興味深いことに、初期ヒンドゥー教への反発に基づき、仏教が発祥したと位置づけられている。仏教の開祖である釈尊は、解脱の実現可能性を証明した歴史上人物であり、輪廻を超えた存在であるため、ありとあらゆる神様を越したスパー人物であるため、人々の注目を集めた。大変簡潔に言ってしまえば、解脱に到達した釈尊の姿への憧れが強まる中、仏像が制作されるようになった。このように、仏像制作に伴い、本来ヴェーダ聖典限定の神様が目に見える形に表されるようになったという新たな変遷がもたらされた。ヴェーダの神様の彫刻が盛んに作られるようになったきっかけは、仏像制作であったに他ならない。また、この両宗教の密接な関係による展開はこれに留まらない。紀元前三世紀のアショーカ王が統治したマウリヤ王朝により、初めてインド統一が成され、インド仏教の最盛期を迎える時期となった。この王朝の加護にあった仏教の伝播により、インド全土に特定の人々に知る権利のあった昔話が一般人に公開され、インド全地域にそのethosが広まった。この仏教の最盛期の際、釈尊の人気を上回るべく、新たな神が創出された。これは、釈尊を超すべく、輪廻転生の枠から離れた超越的な存在、つまり創造主の観念に相当する思想が作り出された。まず、シヴァ神についてである。

[iii]śiva शिव
シヴァ神は、雨期の神格化とされている。シヴァ神には、二つ側面を
備えている。それは、恵みをもたらす面と破壊する側面に分類される。まさに、雨期の神格化とされる理由がよくわかる個性を持っているのである。シヴァ神は、ヴェーダ期においては、人気が低い神だったようである。それは、アーリア人の神々が輪廻の頂点、天界に所属し、土着の神は阿修羅に存在するとされていたのに基づく。シヴァ神は、最も土着性のある神である以上、ヴェーダ聖典で活躍していたアリーア人の神より下の位にあった。シヴァ神にはインダス文化の多くの要素が具わっている。肌が青く描かれるのは、肌が黒いからである。または、左上の画像で示したように、奥さんもいる。シヴァと奥さんのpArvathIのそれぞれの象徴であるliGgayoniが合一しているものには、命の根源が宿る(brahman)と考えられ、信仰の対象となった。
一方、シヴァの原動力となるのが奥さんにもらう「シャクティ」に他ならず、奥さんのご機嫌により、シヴァ神は痛い目に遭わされるのがしばしばあるようである。右の画像に描かれているシヴァ神の奥さんの最強の姿である「カーリー」は、シヴァ神より、遥かに強いという、インダス文化的な女性優位が見て取れる。ただし、血好きなカーリーには、この恐ろしい面をしているものの、夫のシヴァ神にシャクティを与えない理由がある。それは、夫に力を与えられない程、子供に全てを譲り渡しているからであるという、「母親の理想の姿」として認識されることもある。このシヴァ神とpArvathIの子供であるganeshにはさらなる土着性の要素が絡み合っている。それは、インダス文化に由来する動物信仰である。左上の画像に描かれているように、ganeshの最も際立つ特徴は、紛れもなく象の頭である。これに関して、諸説あるが、最も有力のある伝説をまとめれば以下の
通りとなる。
「ある日、pArvathIは、お風呂に入り、癒し時間の邪魔になる者を、誰であれ遠さないように息子に依頼した時の出来事である。久々に帰宅したシヴァ神は、奥さんがお風呂に入っているのに気が付き、興奮気味に風呂場に近づいたら、ganeshが道を阻み、お母さんに頼まれたように、お父さんが風呂に入ろうとするのを止めた。すると、シヴァ神は、バカ素直にお母さんとの約束を守りぬいたganeshに憤慨して、頭を切断してしまったのである。悲惨な修羅場に遭わされたお母さんは、夫に息子の命を取り戻すように願った時に現れたのが象である。」
このように、シヴァ神は躊躇わずに、象の頭をganeshの身体に取り込み、復活させたのがこのganesh神の著しい特徴の元の物語のようである。以上に述べたように、シヴァ神やその家族にまつわる要素のいずれには、土着の要素の正当性が主張されることが窺える。
viSNu विष्णु
次は、土着性がない、いわゆるアーリア人がもたらした神様であ る。シヴァ神のように、様々能力を備え兼ねるのがヒンドゥー教における神様の基本的な姿である。viSNu神も例外ではないが、能力が彼の個性というより、多様性にあると言ってもいいだろう。viSNuの唯一能力は化身に入り込むことができる。臨機応変に姿を変えられる万能さに富んだ神様である。10体のavatAraを持っていると言われている。これらのavatAraは、それぞれ神話や昔話に登場する主人公が「実はviSNuだったんじゃ~!」。いわば、viSNuが英雄視され、物語の助っ人などがこの神様の化身に他ならないと考えられるようになった。以下の表には、viSNu神のavatAraをまとめてみた。



       クールマ 亀化身・地球を造る時に天地を支える役割を担った
       マツヤ 魚化身・大洪水から人々を救済した
       ヴァーマナ 小人化身・魔族から土地を奪い返した
       ヴァラーハ 猪化身・大地を水から救い上げた
       ヌリシンハ 人獅子・頭がライオン・悪魔退治に成功した
       ラーマ ラーマ王子・『rAmAyaNa』物語の主人公
       パラシュラーマ 武人階級を全滅させた
       クリシュナ インドの英雄・『マハーバーラタ』の登場人物
       ブッダ 仏教の教えにより、魔族の力が減った
       カルキ 世界終焉後、全てを再生する[iv]
以上の10avatAraに化けたviSNu神の大活躍が窺えると同時に、さらなる興味深いことが確認できる。それは、いずれの化身の裏づけとして、viSNuが必ず「悪魔」や災害などから守ってくれる存在であるという意識があるように思える。また、魚化身のマツヤの伝説は、ユダヤ人の旧約聖書での有名な大洪水の由来と言われるほど、これらの化身にまつわる物語は、単なる空想の話ではなく、現在にまで影響が及ぶ程のものであると留意されたい。マツヤの他に、rAma化身の物語は、日本で親しみのある『浦島太郎』、または、若世代に大人気を集めた『Resident Evil』シーリズなどの由来であると言われている。現在まで、インド国境を越え、viSNu神が異なる形(化身)で世界に現れ続けていると捉えられることもできよう。さらに、ブッダ(釈尊)の化身も持っているということは一体何を意味するだろう。そもそも仏教開祖の釈尊がヴェーダの神々より人気を集めた頃に、釈尊に上回るべく、これらの創造主の神様が位置づけられたにもかかわらず、一見辻褄が合わないようである。しかし、講義の内容を丁寧に読み返すと、あることに気が付いた。ブッダはviSNu
の化身と言いながら、仏教は悪い教えであったため、悪魔を戸惑わせ、弱めたという解釈が一般的である。このように、仏教を劣った教えと位置付けたうえで、大人気を集めていたブッダを否定することなく、viSNu神の化身とすることにより、viSNuの優越性を図ったと思われる。細やかに戦略に基づき、作られた化身の代表例であると言える。
 一方、このviSNu神が文学作品などに影響を及ぼしているだけでなく、インド社会構造の大柱であるカースト制度が途絶えないことにも、密接な関係を持っている。それは、kRSNa化身の物語と強く結びついている。
kRSNa कृष्ण
このviSNu神の化身の呼称は形容詞の「黒い」という意味を指すように、シヴァ神と同じく、肌は青色で描かれていることがわかる。恐らく、アリーア人の侵入前の土着のインド人、先住民族を表現していると考えられる。ganeshが仙人から得た情報を書き写し、『mahAbhArata』というバラタ族の戦争記録物語ができたと言われている。この叙事詩の6巻目は、インドのbibleと呼ばれる『bhagavad gItA』である。この物語に登場するアルジュナ王子は、戦場の残酷さに悩まされ、悲惨な殺し合いを断念しようとしたと伝えられている。そこで、kRSNaが出場し、武人階級らしくない言動のアルジュナ王子を批判し、クシャトリヤ階級の王子にとっては、戦争行為(殺し合い)はdharma(義務)であると主張した。さらに、kRSNaは王子に次の斬新な発言を向けた。それは、階級のそれぞれの義務を果たせば、解脱に至ることが可能であるということである。アルジュナ王子の場合は、戦にこそdharmaを果たす意味があったのに対して、この思想は全ての階級にも当て嵌まる。つまり、kRSNaが主張しているのは、自らのdharma(svadharma)を果たす行為自体に意味を生み出したのである。その行為の善し悪しや結果を問わず、行為自体(非成果主義)に意味があると位置づけることの利点は、カースト制度の正当、そのものを肯定的に捉えるべく生み出された思想なのではないだろうか。言い換えれば、kRSNaの説得は、従来の特定の人に限った宗教様式の出家や苦行などの行為を否定し、日常生活でのsvadharmaを実践さえすれば、解脱に至ることが可能であると、インド社会構造のカースト制度が現代まで続くさらなる妥当な説明となったのである。また、本来の「業」、つまり自分自身の行為が及ぼす影響力などを気にせず、行為の結果を一切懸念しないようkRSNaは諭した。これは、svadharmaを果たせばよいという側面もあるが、ここで重要なのが、「結果や行為の報いなど、神に委ねろ」という側面の方が、注目に値する。jAti制度を支えるためにのみ、作り出された思想ではなく、全知全能の神様は人間を見捨てはしないというのが前提となっている。つまり、「神様の言うことを聞きさえすれば、解脱に至ることが約束される」という一神教ならではの発想のルーツがここで確認できるとは、インド文化の深さに驚かされる一方である。
グプタ王朝(紀元前320年)からインド人の王朝が続き、インド古典の重要性が強調されるのを機に、インド仏教が滅び始めたようである。以上に、viSNuの化身が、ヒンドゥー教の神様の優越性を示すのに、いかに重要な役割を担っているか述べてきたが、ブッダ化身やkRSNa化身に関する観念は、見事な戦略機能を持っており、釈尊よりの人気を集める成功と繋がったと言わざるを得ない。




[i] 世界大文明地図 http://www.janiasu.com/terms/img/4-2.jpg 2015/7/4
(インド神々の画像は、ずれこちらのサイトで閲覧したため、これ以降、省略する)